前章(帰属の原理 – 第二章)では、帰属の構造を欲求・選択・対象・無意識という四つの軸から分節した。帰属欲求の根源性と帰属先選択の三層構造、帰属対象の群れから像への拡張、帰属の無意識的作動と間接的接近、社会性の能力と帰属意識への二分類——これらは帰属が「何であるか」を記述するための基礎的枠組みであった。本章(帰属の原理 – 第三章)では、この構造的記述を踏まえて、帰属の原理をより根本的な次元から問い直す。すなわち、帰属が存在に対して何を意味するのか(存在論的性格)、そして帰属が人間の認知と行動において何をしているのか(機能的本質)という二つの問いである。

この二つの問いは、帰属の原理を単なる記述的枠組みから、変容の本質を規定する原理へと押し上げる。帰属の構造を知ることは必要条件であるが、帰属が存在そのものの在り方をどう規定し、人間の自己形成においてどのような機能を果たしているかを把握しなければ、「なぜ変われないのか」「どうすれば変われるのか」という中心主題への原理的応答には到達しない。

(変容)=(帰属先の変化)という存在論的定義

帰属態動統論において、自己変容とは帰属先が変わることである。この定義は、環境・性格・経験といった要素を変容の本質とみなす通常の理解を退ける。環境の変化も性格の変化も経験の蓄積も、変容の変数ではあるが本質ではない。自己を規定する本質的な力は「どこに・何に帰属しているか」という帰属意識にあり、環境・性格・経験はその帰属意識を媒介して自己に影響を及ぼす変数にすぎないとされる。

この主張は、帰属を方法論的なツール——自己変容を実現するための一手法——として位置づける理解とも異なる。帰属は、方法論を超えた存在論的原理として定位される。つまり、帰属は「変容のために使える概念」ではなく、「存在そのものの在り方を記述する概念」である。人がどのように存在しているかは、その人が何に帰属しているかによって規定される。ある人が「教師である」と言うとき、それは職業的な事実の記述であると同時に、教師という集団・像への帰属を通じて自己の存在様式が規定されていることの表現でもある。その人の思考の枠組み、行動の規範、自己評価の基準——これらはいずれも帰属先との関係において形成され維持されている。したがって、帰属先が変わるということは、単にある属性が別の属性に置き換わるということではなく、存在の在り方そのものが変わるということを意味する。

ここで重要なのは、この存在論的定義が中心主題の「変化の可能性と不可能性の同根性」という洞察と直接的に結びついている点である。前章までの議論において、変化を阻む力と変化を可能にする力は同一原理の両面であることが指摘されていた。帰属への囚われが変化を阻み、帰属の選び直しが変化を可能にする——この命題が成立するのは、変容の本質が帰属先の変化として定義されるからにほかならない。帰属が方法論的ツールにすぎなければ、変化を阻む力(たとえば性格的頑固さや環境的制約)と変化を可能にする力(たとえば意志力や外的支援)は別々の原理に帰属することになり、同根性の洞察は成立しない。変容=帰属先の変化という存在論的定義があるからこそ、阻害と可能化が一つの原理の表裏として統一的に理解される。

帰属の不可避性——非帰属状態は原理的に存在しない

帰属を存在論的原理として捉えることから、もう一つの重要な帰結が導かれる。人は常に何かに帰属しており、非帰属状態は原理的に存在しないという命題である。

これは一見すると反直感的に映る。社会的な集団から孤立した人間、いかなる組織にも属さない人間は現に存在するように見える。しかし前章で論じたとおり、帰属対象は実在する集団に限定されず、像全般にまで拡張される。孤立した人間であっても、「孤立している人間」という自己カテゴリーに帰属している。社会的には無所属であっても、内的には「無所属者」「はぐれ者」「一匹狼」といった像への帰属を通じて自己の存在様式を規定している。あるいは、かつて属していた集団の記憶、いつか属したいと願う集団の像、属することを拒否する集団との否定的な関係——これらすべてが帰属意識の発現形態である。

非帰属状態の原理的不在は、帰属の構造的記述から必然的に導かれる。帰属欲求が根源的で回避不可能であり、帰属対象が像にまで拡張され、帰属が無意識的に作動するのであれば、人が何にも帰属していない状態は、帰属欲求が消滅しているか、帰属対象となる像が一切存在しないか、帰属の無意識的作動が完全に停止しているかのいずれかを意味する。しかし、帰属欲求は進化心理学的に不可避であり消滅しない。像は直接体験に限らず「知ること」のすべてから発生するため、認知機能を持つ限り像の不在は考えにくい。無意識的作動は意識の有無にかかわらず進行する。したがって、これら三つの条件はいずれも人間の通常の認知状態においては充足されず、非帰属状態は原理的に排除される。

この命題は変容の議論にとって決定的な意味を持つ。もし非帰属状態が可能であれば、変容のプロセスは「帰属を捨てる」ことで達成されうる。しかし非帰属状態が不在であるならば、変容とは「帰属を捨てること」ではなく「帰属先を変えること」でしかありえない。旧い帰属を手放すためには新しい帰属が必要であり、帰属のない空白状態を経由して変容が達成されるという理解は退けられる。この認識は、後に動組成理論において展開される変容の6段階プロセス——とりわけ旧帰属の揺らぎと新帰属への再接続の間に生じる「無帰属的不安」の理解——にとって不可欠な前提となる。無帰属的不安は、非帰属状態の実現ではなく、帰属先の不確定性がもたらす移行期の体験として位置づけられることになる。

帰属メカニズムの価値中立性——評価は像の側に生じる

帰属が存在論的原理であるという主張は、帰属メカニズムそのものの倫理的性格についても一つの帰結を含む。帰属態動統論において、帰属メカニズム自体は価値中立であるとされる。帰属という作動原理そのものに善悪の区別はなく、善悪の評価は帰属先の「像」の側に生じる。

たとえば、ある人がボランティア団体に帰属している場合と反社会的集団に帰属している場合とで、帰属メカニズムそのものの作動様式は同一である。いずれの場合も、帰属を通じて自己像が形成され、行動規範が導出され、所属感が充足される。帰属意識が自己を安定化させる機能、自己規範を生成する機能、帰属離脱への恐怖を通じて行動を方向づける機能——これらはいずれも帰属先の内容に関係なく同型的に作動する。差異が生じるのは帰属先の像——どのような集団か、どのような理念か、どのような人物像か——の側であり、メカニズムの側ではない。

この価値中立性の主張は、帰属の原理を道徳的処方と分離する。帰属の原理は「何に帰属すべきか」を指示しない。それは「人間は帰属という原理によって自己を形成しており、変容とは帰属先の変化である」という記述的な主張であり、どの帰属先が望ましいかという規範的判断は原理の外部に委ねられる。この記述と処方の二層構造の意識的使い分けは、体系全体のメタ構造に関わる設計思想——感情の扱い方を指示(処方)せず、変容プロセスで何が生じるかを記述するだけにとどめるという方針——と整合する。

ただし、帰属メカニズムの価値中立性は、帰属先の選択に対する無関心を意味しない。後に動組成理論の解放モデルにおいて展開されるように、自己変容を志向する人にとっては、根源自己の快・不快という選好を判断基準の1つとして帰属先を選び直す実践が提起される。しかし、それは帰属メカニズム自体に善悪を見出すのではなく、帰属先の像を評価し選択するという行為の次元に属する。原理の記述と実践の処方は区別されなければならない。

帰属意識の機能的本質——自己安定化の適応装置

帰属の存在論的性格を踏まえたうえで、次に問われるのは帰属意識が人間の認知と行動において「何をしているか」——すなわちその機能的本質である。

帰属態動統論において、帰属意識の本質は現象でも構造でもなく「機能」として最も適切に捉えられるとされる。帰属意識は自己を安定化させるための適応装置として位置づけられる。ここで「適応装置」とは、環境の中で自己を維持し存続させるために機能する心理的メカニズムを意味する。帰属意識は、人がどこかに属しているという感覚を通じて自己の存在を安定させ、予測可能な行動パターンを維持し、環境との関係を一定に保つ装置として作動している。

この機能的把握は、帰属を現象として記述する水準——「人は何かに帰属している」という観察——を超える。また、帰属を構造として記述する水準——「帰属には欲求と選択と対象と無意識性がある」という前章の分析——をも超える。機能的把握は、帰属がなぜ存在するのか、何のために作動しているのかという問いに対して「自己の安定化」という回答を提出する。

この自己安定化機能は、変容の阻害メカニズムを直接的に説明する。帰属意識が自己安定化装置として機能しているならば、帰属先の変更は自己の安定性を脅かす事態として脳に処理される。帰属先を失うことは単に所属先がなくなるということではなく、自己を安定させている装置そのものが機能停止するということを意味する。ここに、前章で論じた帰属の両義性——自己固定化と変容可能化が同一メカニズムの表裏であるという構造——の機能的根拠がある。安定化装置としての帰属は、安定を維持するかぎり自己を固定化し、安定を再構成するかぎり変容を可能にする。阻害と可能化は帰属の機能の二つの発現形態であり、対立する二つの力ではない。

ここで、この自己安定化機能と、次章(帰属の原理 – 第4章)で展開される恐怖の連鎖構造との関係を先取りして示しておく。帰属離脱が恐怖を引き起こすのは、帰属が自己安定化装置であるがゆえに、その離脱が自己の安定性の崩壊として体験されるからである。恐怖の連鎖構造——失敗→無能感→排除リスク→恐怖——は、帰属意識の自己安定化機能が脅かされる過程の心理的記述として読むことができる。

自己規範の生成原理としての帰属

帰属意識の機能はしかし、自己安定化のみに尽きない。帰属態動統論において、帰属意識は「自分はどうあるべきか」という自己規範を導出する生成原理としても位置づけられる。人は自らが属する集団や架空の類型への帰属を通じて、道徳的判断の基準、行動の規範、自己評価の尺度を形成する。

たとえば、「医師」という集団への帰属意識を持つ人は、医師としてどうあるべきかという規範を自己に課す。それは外部から命じられた職業倫理であると同時に、帰属意識を通じて内在化された自己規範でもある。同様に、「誠実な人間」という像への帰属意識を持つ人は、誠実さを自己規範として導出し、その規範に照らして自らの行動を評価する。このとき重要なのは、規範の内容が帰属先の像から導出されるという生成の方向性である。規範は自己の内部から自律的に生まれるのでも、外部から一方的に押しつけられるのでもなく、帰属先との関係のなかで——帰属先の像が持つ特性を自己に取り込むことによって——生成される。

この自己規範の生成原理は、道徳・行動規範・自己像の形成を帰属意識という一点から統一的に説明する。なぜある人はある行動を「すべきだ」と感じ、別の行動を「すべきでない」と感じるのか。帰属態動統論の回答は、その人が帰属している像がそのような規範を内含しており、帰属意識を通じてその規範が自己に転写されているから、というものである。規範の起源を帰属に求めることで、道徳の普遍性(人は何かに帰属するかぎり規範を持つ)と相対性(規範の内容は帰属先によって異なる)が同時に説明される。

この帰属を通じた自己規範の生成は、後に動組成理論の解放モデルにおいて展開される「義務感から当たり前感へのアイデンティティ内在化シフト」の理論的基盤を提供する。「こうすべきだ」という義務感ベースの規範と、「この人はこうするのが当たり前だ」という自然体の規範との差異は、帰属意識と自己規範の結びつきの強度・内在化の程度の差異として説明されることになる。しかし、この実践的展開は動組成理論の範囲に属するため、ここでは帰属による自己規範の生成という原理的構造の記述にとどめる。

自己安定化機能と自己規範の生成原理——この二つの機能は互いに独立ではなく、相互に補強し合っている。帰属が自己を安定化させるのは、帰属先から導出された自己規範が行動の予測可能性を高め、自己の一貫性を維持するからでもある。逆に、自己規範が機能するのは、帰属意識が自己を安定化させることで規範の内在化を持続的に支えるからでもある。帰属意識は、安定化と規範生成の両面において、自己形成の基盤的メカニズムとして作動している。

帰属意識の起因の一般的定式化の困難

帰属意識の存在論的性格と機能的本質がここまで論じられた。残る問いは、帰属意識がいかにして生じるのか——その起因の問題である。しかし、帰属態動統論において、この問いには特徴的な留保が付されている。帰属意識の起因は多様な環境・きっかけの複合であり、一般的な定式化は原理的に困難であるとされる。

なぜ定式化が困難なのか。帰属意識の形成に関与する変数は、生育環境、対人関係、文化的文脈、偶発的な経験、生得的な気質、時代的な条件など、多岐にわたる。しかもこれらの変数は線形的に帰属意識に寄与するのではなく、複雑な相互作用を通じて非線形的に帰属を形成する。ある人が、なぜ特定の像に帰属するに至ったかを説明することは個別事例としては可能であるが、帰属意識の形成を一般法則として定式化すること——「これこれの条件が揃えば帰属意識が形成される」という予測的命題を立てること——は、変数の複合性と相互作用の非線形性ゆえに原理的に困難である。

しかし、帰属態動統論はこの困難を理論の破綻とは捉えない。一般的定式化の困難は、説明の不可能性を意味しない。帰属態動統論が採用する説明様式は、起因の予測ではなく構造条件の解明である。すなわち、「なぜこの人がこの帰属に至ったか」を個別に予測することはできなくても、「帰属が形成されるときにどのような構造的条件が関与しているか」を記述することは可能である。帰属欲求の存在、像の発生メカニズム、無意識的作動の様態、受動帰属と能動帰属の二類型——前章および次章以降で展開されるこれらの概念は、個別の起因を予測するためのものではなく、帰属形成の構造的条件を解明するためのものとして位置づけられる。

この説明様式の選択は、理論のメタ構造における暫定性の引き受けとも通底する。帰属態動統論は自らを科学的理論ではなく実践哲学的仮説として位置づけており、反証可能性の問題を自覚的に引き受けている。帰属意識の起因を一般法則として定式化することの断念は、この認識論的自覚の具体的表現でもある。理論が提供するのは予測ではなく理解であり、理解の枠組みとして帰属の構造条件を解明することが、帰属の原理の説明様式である。

存在論的性格と機能的本質の統合——帰属はなぜ「原理」であるか

ここまでの議論を振り返る。帰属が存在の在り方を規定する存在論的原理であること、非帰属状態が原理的に存在しないこと、帰属メカニズムが価値中立であること、帰属意識が自己安定化の適応装置であり自己規範の生成原理であること、帰属意識の起因の一般的定式化が困難であり構造条件の解明という説明様式が採用されること——これらの論点は、なぜ帰属が単なる概念や枠組みではなく「原理」と呼ばれるのかを明らかにする。

帰属が原理であるのは、それが人間の存在の在り方を根底から規定する不可避のメカニズムであり、変容の本質をこの一点から統一的に説明し、しかもそのメカニズム自体は価値中立的に作動するという特性を持つからである。帰属は特定の文脈に限定されたツールではなく、あらゆる文脈においてあらゆる人間に作用する基底的メカニズムである。存在論的性格が帰属の射程の根底性を、機能的本質が帰属の作動の具体性を、価値中立性が帰属の適用の普遍性を、起因定式化の困難が帰属の記述様式の特性を、それぞれ規定している。

前章で帰属の構造——欲求・選択・対象・無意識——が記述されたことにより、帰属が「何であるか」は明らかになった。本章で帰属の存在論的性格と機能的本質が記述されたことにより、帰属が「存在に対して何を意味するか」と「何をしているか」が明らかになった。次章(帰属の原理 – 第四章)では、この帰属の原理が脅かされるとき——すなわち帰属離脱が生じるとき——に人間の内部で何が起こるかを、恐怖の連鎖構造と階層構造モデルの展開を通じて記述する。帰属の安定化機能が脅かされる事態こそが、変容を阻む最も強力な力の源泉であり、同時に、その恐怖の構造を把握することが変容の経路を開く前提条件となる。