前章(帰属の原理 – 第一章)で確認した根本テーゼは、帰属欲求が根源的かつ不可避であること、帰属が人間の認知・行動・社会構造を統一的に説明する出発点であること、帰属が自己固定化と変容可能化の両義的メカニズムであること、そして生が帰属先に対する自己価値の証明行為として構造化されることの四点に集約される。しかし、この根本テーゼだけでは、帰属という概念がいかなる内部構造を持ち、どのような射程で人間の認識と行動を規定しているのかは十分に明らかでない。帰属が根源的であると言うだけでは、その根源性がどのような層を持ち、何に向けられ、如何に作動しているのかが見えないからである。

本章(帰属の原理 – 第二章)では、帰属の原理の内部構造を四つの観点から展開する。第一に、帰属欲求と帰属先の選択可能性を区別し、さらに帰属に対する自覚の有無という第三の層を加えた三層的区別を導入する。第二に、帰属対象を実在する集団(群れ)から像全般へと拡張し、この拡張が持つ理論的意義を明確にする。第三に、帰属が無意識的に作動する行動駆動メカニズムであることを示し、その不可視性が変容の盲点を生む構造を記述する。第四に、社会性という概念を能力と帰属意識に分離することで、帰属の原理が社会的能力の有無にかかわらず人間の存在に普遍的に作用することを示す。これらの構造的分節は互いに独立した論点ではなく、帰属という概念の射程を精密に画定するための相互補完的な記述である。

帰属欲求と帰属先の選択可能性の三層的区別

帰属という概念を正確に扱うためには、まず帰属欲求そのものと帰属先の選択を明確に区別しなければならない。帰属の原理においては、この区別がさらに三つの層に分節される。

第一の層は、どこかに帰属したいという衝動それ自体である。これは前章で述べたとおり、進化の過程で集団への帰属が生存に有利であると学習された結果、本能レベルに刷り込まれた根源的欲求である。この衝動は回避できない。帰属したくないと思うことは可能であるが、帰属欲求を持たないことは原理的に不可能であるというのが本理論の立場である。

第二の層は、具体的にどの集団・場所・関係・概念に帰属するかという選択の問題である。この層は第一の層とは異なり、願望の領域に属する。すなわち、帰属先は主体的に選択しうる。ただし、ここには重要な二重構造がある。帰属先の選択が意識的に行われる場合と、無意識的に流れ着いた結果として帰属が成立している場合が存在するのである。ある人が意図的に特定のコミュニティに所属を決めることは前者に該当する。一方、気づけば特定の集団の価値観に染まっていた、あるいは幼少期の環境によって自動的に形成された帰属意識が更新されないまま継続しているという事態は後者に該当する。この二重構造が重要であるのは、帰属先の選択可能性を認めることが、自動的にすべての帰属が意識的選択であることを意味しないからである。惰性による帰属と意志による帰属は、帰属先の選択可能性という同一の層に属しながら質的に異なる。

第三の層は、自分がどこに帰属しているかを自覚できているか否かという認識の問題である。第一の層が欲求であり、第二の層が選択(意識的・無意識的を含む)であるのに対し、第三の層はそれらについての認識(メタ認知)である。この層の存在が意味を持つのは、多くの人が自分の帰属先を正確に自覚しておらず、したがって帰属先を変更するという選択肢がそもそも認知の俎上に載らないという事態が構造的に生じうるからである。帰属先の選択が原理的に可能であっても、自分が何に帰属しているかを知らなければ、その選択を行使する余地は実質的に存在しない。

この三層の区別——帰属欲求(回避不能な衝動)、帰属先の選択(意識的・無意識的を含む願望の領域)、帰属に対する自覚(メタ認知的認識)——は、帰属の原理が単に「人は何かに属している」という事実の記述にとどまらないことを示す。帰属の原理は、帰属欲求の不可避性、帰属先の選択可能性、そして帰属認識の多くの場合における不在という三つの構造的条件の組み合わせとして、変容の困難と変容の可能性をともに説明するのである。惰性による帰属と意志による帰属の峻別は、まさにこの三層の区別を前提として初めて可能になる。自覚なき帰属は惰性による帰属と構造的に重なり合い、自覚を経た帰属のみが意志的選択の対象となりうる。

なお、この三層的区別は後に動組成理論(TDC)の解放モデルで展開される変容の6段階プロセス——俯瞰→癒着の認識→切り離し→選択→帰属→ふるまい——の「俯瞰」と「癒着の認識」がなぜ変容の出発点として不可欠であるかの原理的根拠を提供する。第三の層の自覚が得られて初めて、第二の層の選択が操作可能になるという構造がここにある。

また、実存的基盤のクラスター(展開理論)において展開される対人欲求の三類型モデル——愛着欲求・共鳴欲求・承認欲求——は、この帰属欲求の内部構造をさらに分化させるものとして位置づけられる。帰属欲求が根源的であるという第一の層の主張は、その欲求がどのような質を持つかについては未規定であり、三類型モデルはその質的分化を帰属先の選択可能性のレベルでより精緻に記述する。帰属したいという衝動が、安心と絆を求める形で発現するのか、感情や価値観の共有を求める形で発現するのか、存在や能力の承認を求める形で発現するのかによって、選択される帰属先の方向性は大きく異なる。

帰属対象の群れから像への拡張

帰属の構造を精密に画定するうえで、帰属対象がどこまで及ぶかという問題は決定的に重要である。帰属の原理においては、帰属の対象が実在する集団(群れ)に限定されないという主張が根本的な理論的転回を成す。

帰属本能の起源は、進化の過程で集団への帰属が生存に有利であると学習された結果、本能レベルに刷り込まれた群れへの志向にある。この点は前章で確認した。しかし人間の認知能力は、個で生きることが比較的容易となった現代において、帰属の対象を実在する物理的集団から大幅に拡張した。人は個人・架空の存在・抽象的概念・想像上の共同体・理念や物語といった「像」全般に対して帰属意識を発揮しうる。この拡張こそが、帰属の原理を単なる集団心理学的概念から存在論的原理へと転換させる核心的操作である。

像への帰属とは、具体的には以下のような事態を指す。人は自身の内面に「○○な人々」という特性を共有する集団像を構成し、その架空の類型に自己を同一化する。たとえば「努力する人間」「知識を重んじる人々」「社会の周縁に生きる者たち」といった類型は、必ずしも特定の実在集団を参照していない。それは個人の認知のなかに構成された像であり、その像への帰属を通じて自己像・認知・行動が形成される。この拡張により、物理的に孤立した人間、いかなる集団にも所属していない人間にも帰属欲求と帰属意識が存在しうることが説明可能になる。

この理論的拡張は、Baumeisterの所属欲求理論との差別化の核心をなす。Baumeisterの理論は、人間が安定した対人関係への帰属を根源的に求めるという主張を提出したが、その射程は実在する集団や対人関係に限定されていた。帰属の原理はこれを概念的存在にまで拡げることで、Baumeisterの枠組みでは十分に説明しきれなかった現象——たとえば、社会的孤立にありながらも特定の理念や物語に強い帰属意識を持つ人間の心理、あるいは歴史上の人物像や架空のキャラクターとの同一化を通じた自己形成——に対して原理的な説明を与える。この差別化が成立するのは、帰属本能の起源は群れへの志向であるが、人間の認知能力がその対象を「実体」から「像(イメージ)」へと広げたという発達的理解に基づいている。

像の発生源についても明確にしておく必要がある。像は直接体験からのみ生じるのではない。噂・伝聞・メディア・書籍・インターネットなど、あらゆる「知ること」が像を発生させうる。ある人物の存在を噂として聞くだけで、その人物に関する像が内面に形成され、帰属の対象となりうる。メディアを通じて特定のライフスタイルや価値観に触れるだけで、その価値観を体現する架空の集団像が構成され、帰属意識の基点となりうる。この認識は、個人の運命が自由意志だけでなく情報環境という外的条件にも因果的に規定されるという帰結をもたらす。どのような像に出会うか——すなわち何を知るか——は帰属先の候補を決定し、帰属先の候補は自己像と行動を方向づける。情報環境の偶然性が帰属先を規定し、帰属先が自己を規定するという因果連鎖のなかに、個人は否応なく置かれている。さらに踏み込めば、どこに対して帰属したいかという願望意志もまた、志向時点に形成されている自己に影響されうる。

像の構造に関連して、物語とカテゴリーの関係についても述べる。帰属の原理においては、物語とカテゴリーは対立する概念ではなく、階層的関係にあるとされる。カテゴリーとは「○○な人」という静的な分類であり、物語とはそのカテゴリーが時間軸上に展開されることで生成される動的な構造である。「努力する人」というカテゴリーが「困難に直面し、苦闘し、やがて成果を得る」という時間軸上の展開を持つとき、それは物語となる。したがって物語はカテゴリーの上位概念ではなく、カテゴリーの時間的展開として生成される派生的構造である。帰属対象としての像は、カテゴリーと物語の双方を含みうるが、両者は独立した次元ではなく、カテゴリーが基底にあり物語がその展開として成立するという関係にある。

この帰属対象の像への拡張は、実践論(HP)における具体的技法と直接的に接続する。偉人の習慣模倣という技法は、帰属先を現実の集団から歴史上の人物像という概念的存在へ拡張することで、社会的認知の代償を払わずに帰属感を獲得するという実践であるが、その理論的基盤はまさにこの像への拡張によって提供される。さらに、動組成理論におけるアイデンティティの外部集団帰属モデル——アイデンティティとは自己内部の本質ではなく、外部に想定された架空の人物集団へ自己を帰属させる働きであるという再解釈——もまた、帰属対象の像への拡張を前提として成立する。像への帰属が理論的に認められなければ、アイデンティティの外部帰属モデルは成り立たない。

帰属の無意識性——行動駆動メカニズムの不可視性と間接的接近

帰属の三層的区別と対象の拡張を踏まえたうえで、次に帰属がいかに作動しているかという動態の問題に進む。帰属の原理における決定的な主張の一つは、人間の行動を駆動する帰属が多くの場合当人に意識されないまま作動しているという認識である。

この無意識性は、帰属の第三の層(帰属に対する自覚)の不在が常態であることを意味する。帰属欲求は根源的であり、帰属先は(意識的にせよ無意識的にせよ)選択されているが、その選択の事実も選択された帰属先も、当人にとっては透明である場合が多い。行動の背後にある因果推論——「自分はなぜこの行動をとっているのか」「自分の認知をどのような前提が方向づけているのか」——は無意識的に遂行されるため、自己理解や行動変容の試みにおいて構造的な盲点となりやすい。

この無意識性が変容を困難にする理由は明確である。変容の6段階プロセスの最初の二段階——俯瞰と癒着の認識——は、自分の帰属先を意識化することに他ならない。しかし帰属が無意識的に作動している限り、俯瞰の対象が不在であり、癒着を認識する以前にそもそも帰属の存在自体が視野に入らない。深層心理が自覚されないまま自己概念を根源的レベルで固定・規定しており、意識的自己認識だけでは自己変革は達成しがたいのである。

帰属の無意識性をさらに精密に記述するために、無意識の構造的方向づけという概念が導入される。帰属の原理においては、無意識は無秩序な衝動の集積ではなく、自己像と世界観の関数として構造的に方向づけられているとされる。具体的には、アイデンティティ(自分は何者か)、ゴール(何を目指しているか)、恐れ(何を失うことを最も恐れているか)の三軸によって無意識の方向性が規定される。これら三軸はいずれも帰属の原理と直結している。アイデンティティは帰属先の集合として規定され(この点は動組成理論で詳述される)、ゴールは帰属先における自己価値の証明の方向性を定め、恐れは帰属離脱の脅威に対する感度を規定する。したがって無意識の方向づけは帰属の構造によって説明可能であり、帰属の原理は無意識の構造を記述する枠組みとしても機能する。

この無意識の方向づけに関連して、意識と無意識の関係についての理論的立場を明確にしておく。帰属の原理においては、無意識が意識に先行して行動を駆動し、意識は事後的に追認する編集長的存在として機能するという立場がとられる。この立場はリベットの実験等に端を発する「free won’t」の議論——意識は行動を生成するのではなく、無意識の提案を承認あるいは却下する拒否権として機能する——と整合する。意識が事後的な編集長であるという認識は、帰属の無意識性の意味をさらに深める。帰属に基づく行動の生成は無意識レベルで完了しており、意識はその結果を追認するか、まれに拒否するかのいずれかを行うにすぎない。行動変容が意識的決意だけでは達成しがたい理由の一端がここにある。

では、原理的に直接認識できない無意識にいかにして接近するのか。帰属の原理は、無意識そのものはリアルタイムに直接認識することが原理的に不可能であるが、行動パターン・感情反応・身体症状といった痕跡を通じて間接的に高精度で認識できるとする。自分が何に帰属しているかは内省によって直接的に把握されるのではなく、自分がどのような行動を繰り返し、どのような状況でどのような感情反応が生じ、どのような身体的症状が出現するかを観察することで、その背後にある帰属の構造を推論的に復元するのである。この間接的接近の方法論は、精神分析における自由連想法や行動療法における行動記録と構造的に類似するが、帰属の原理においてはその目的が明確に限定されている。無意識への接近の目的は、無意識の内容を知的に把握すること自体にはない。目的は、無意識的な力に振り回されず自律性を回復することにある。知ること自体が目的ではなく、知ることが自律性の回復に資する限りにおいて有意味であるという実践的な位置づけである。

この目的規定は、帰属の原理が変容を志向する実践的原理であることの一つの表れである。無意識の探求を知的営為として無限に深めることは帰属の原理の関心ではない。帰属の構造を自覚し、その自覚に基づいて帰属先を選び直す——この変容のプロセスに寄与する範囲で無意識への接近が位置づけられる。

帰属の無意識性に関する以上の記述は、脳の予測処理モデルとも接続する。メタ理論(帰属態動統論に対する)のクラスターにおいて展開される予測処理理論に基づくDMN/RASの機能的再解釈——DMNは自己と世界の予測モデル生成・維持装置であり、RASは予測に合致しない情報をフィルタリングする注意の門番である——は、帰属の無意識的作動メカニズムに神経科学的基盤を提供するものである。帰属に基づく自己像と世界観がDMNによって維持され、RASがその自己像と世界観に合致する情報を選択的に通過させることで、帰属は自己強化的に作動し続ける。この神経科学的記述は帰属の無意識性を「なぜ帰属は意識に上りにくいのか」という問いに対する補助的説明として機能するが、帰属の原理自体は神経科学的知見に依存せず成立する(この依存関係の管理については、メタ理論クラスターにおける進化心理学の補助的位置づけの議論と同様の構造をとる)。

社会性の二分類——能力としての社会性と帰属意識としての社会性

帰属の構造に関する最後の論点として、社会性の二分類を導入する。この分類は、帰属の原理が一般に「社会的でない」と見なされる人間にも等しく作用することを明示するために必要な概念的操作である。

一般に「社会性」という語が用いられるとき、想定されているのは対人関係を円滑に構築・維持する能力——コミュニケーション能力、協調性、社交性など——であり、これを「社会適合能力としての社会性」と呼ぶ。しかし帰属の原理が扱う社会性はこれとは質的に異なる。帰属の原理が問題にするのは「進化心理学的な群への帰属意識としての社会性」である。前者が能力の次元に属するのに対し、後者は意識の次元に属する。

この区別が理論的に重要であるのは、社会適合能力が低い人間——対人関係の構築が困難な人間、社会的場面に不適応を起こす人間——にも、帰属意識という社会性は本質的に存在するからである。帰属欲求が進化心理学的に不可避な本能的欲求であるならば、社会的能力の高低にかかわらず、すべての人間が帰属欲求を持ち、帰属に基づく行動駆動メカニズムの影響下にある。むしろ社会適合能力が低い人間においてこそ、帰属欲求の充足が困難であるがゆえに、帰属の力学がより鋭角的に自己像と行動を規定する可能性がある。帰属先を獲得できない、あるいは帰属先から排除される恐怖が、社会的能力の低い人間においてはより直接的に生存保証感の消失——恐怖の階層構造モデルにおける根源的恐怖——と接続するからである。

この二分類は、帰属の原理の適用範囲を正確に画定するための概念的道具として機能する。帰属の原理は社会的に活発な人間だけでなく、社会的に孤立した人間、対人関係を避ける傾向のある人間、社会制度との不適合を抱える人間にも等しく作用する。社会性の二分類を導入しなければ、帰属の原理は社会的に適応的な人間を暗黙の対象とした理論として誤読される危険がある。帰属意識としての社会性という概念は、その誤読を防ぎ、帰属の原理の普遍性を担保する。

実存的基盤のクラスターにおいて展開される社会不適合性の構造的再帰属——不適合の真の対象は「社会そのもの」ではなく特定の労働モデルであるという分析——は、この社会性の二分類の実存的適用例として位置づけられる。社会適合能力としての社会性が低いことは、帰属意識としての社会性が低いことを意味しない。むしろ意味や納得を重視する気質を持つ人間ほど、帰属意識としての社会性は高水準に維持されたまま、社会適合能力としての社会性との間に乖離が生じ、その乖離が不適合感として体験されるという構造が生じうる。

帰属の構造が照らすもの

本章では、帰属の原理の内部構造を四つの観点——三層的区別、対象の拡張、無意識性、社会性の二分類——から展開した。これらの構造的分節は、前章で提示した根本テーゼに対して概念的精度を与える操作である。

帰属欲求が根源的であるという主張は、三層的区別によって欲求・選択・自覚の各層に分節され、帰属がどこまで及ぶかという問いは対象の像への拡張によって射程が明確化され、帰属がいかに作動するかという問いは無意識性と間接的接近の記述によって動態が描かれ、帰属が誰に作用するかという問いは社会性の二分類によって普遍性が担保された。

これらの構造的認識は、帰属の原理の後続する諸概念——帰属の存在論的性格、恐怖の連鎖構造、発達的起源、三角相互作用モデル——の理解に不可欠な前提を構成する。帰属対象が像にまで拡張されていなければ恐怖の対象の多様性は説明できず、帰属の無意識性が認識されていなければ変容の困難の根源は見えず、社会性の二分類がなければ帰属の原理の射程は限定的なものにとどまる。

次章(帰属の原理 – 第三章)では、帰属の構造に関する以上の記述を踏まえて、帰属の存在論的性格——変容とは帰属先の変化であるという定義、非帰属状態の原理的不在、帰属メカニズムの価値中立性——と帰属意識の機能的本質——自己安定化の適応装置としての帰属、自己規範の生成原理としての帰属——を展開する。帰属が何であるか(構造)の記述から、帰属が存在に対して何を意味するか(存在論)と帰属が何をしているか(機能)の記述へと進む。